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デジタル化と商業化に揺れるアメリカ歯科界の変貌と、失われつつある医療倫理

アメリカ歯科医療の黄金時代を振り返って

私は1993年ごろ、アメリカの歯科大学と大学院を卒業された日本人の先生から、現地の歯科事情や治療技術を教えていただく機会がありました。

 

その先生のお話を伺うと、当時の日本とアメリカの歯科大学を比較した場合、教育システムやその根底にある考え方に大きな違いがありました。

 

当時、アメリカでは教育レベルの高い大学ほど授業料も高額になるシステムだったそうです。しかし、今ほど極端な高額ではなかったようです。アメリカには教育を自分への「投資」と捉える文化が根付いており、質の高い教育には相応の投資が必要だと考えられているためです。実際に、多額の借金をして入学し、卒業後に自力で返済する学生も少なくなかったそうです。

 

そのため、大学の教育レベルや環境、コストパフォーマンスを評価するランキングが毎年公表され、学生は自分の目的やレベルに合った大学を厳選していたそうです。

 

また「投資」である以上、指導教官がセンスのない学生に対し、別の道へ進むよう促す(退学勧告を含めた指導を行う)こともあったようです。それだけ教官も生徒の将来を真剣に考えていたことの裏返しでしょう。

 

ただ、多くの学生が奨学金や学生ローンを利用しているため、よほど裕福でない限りは自分で返済していかなければなりません。アメリカの大学は入学よりも卒業する方が難しいため、学生たちは入学後、本当に一生懸命勉強するとのことでした。

 

このような環境だからこそ、大学に行く以上は将来稼げるようになることが極めて重要であり、特別な技術(スキル)を身につけるために、学生も大学の教育レベルにシビアに注目しているのだと思います。実際に現地では、高度な治療技術もしっかり教育されており、専門医のための教育カリキュラムも非常に充実していたそうです。

 

私は、その先生から「スーパーGP」と呼ばれる包括的な歯科治療の技術を教えていただきました。これは歯科治療を分野ごとに分断するのではなく、「一口腔(こうくう)」という全体を一つの単位として捉えて診断・治療を行うアプローチです。あらゆる治療を専門医レベルの技術をもって行う、という高い志を持った考え方でした。

 

このような考え方で治療を行うと、患者さんの全体像を理解して治療に臨めるため、現在起きている表面的な問題だけに囚われることなく、その根本的な原因を探る思考力が養われます。

 

また、当時のアメリカの教育では「歯科医療とは一体どういう仕事であるか」という倫理観についても徹底的に仕込まれたそうです。その先生は絶えず「患者さんのために何をすべきか」を考えるよう叩き込まれていました。こうした厳格な教育こそが、アメリカの歯科医師の地位を高め、人々から尊敬される存在としての立場を維持してきた理由なのだと感じています。


アメリカ歯科医療の変貌と商業化への懸念

しかし最近では、アメリカの歯科界も商業化が進み、すっかり様変わりしてしまったようです。収入の高さは相変わらずですが、必ずしも「患者さんのためになる治療」が行われているとは限らない状況になってきていると聞いています。そもそも、かつてのような高い技術を持った先生が少なくなっており、歯科医師の社会的地位も昔ほどではなくなってきているのが現状です。

 

この背景には、大資本が歯科業界に参入してクリニックが大規模化し、多くの歯科医師を雇用して利益を上げる中で、必ずしも必要ではないインプラントやCAD/CAM治療などが「ノルマ化」してしまったからだと言われています。

 

私はシカゴの「ミッドウィンター・デンタルショー」に、2008年と2014年の2回行ったことがあります。掲載している写真は2008年のもので、エーデック(A-dec)社の歯科用ユニットが並ぶ展示ブースの様子です。

 

2008年の時点では、デンタルショーは本当に素晴らしいものでした。見るものすべてが私にとって本当にわくわくするような、新しい技術や工夫に満ちあふれていました。しかし、2014年に再び足を運んだときは、展示のほとんどがCAD/CAMやインプラント用のCTばかりになっており、正直に言って見る価値のあるものが少なく、本当に残念で落胆した気持ちになりました。

 

歯科治療の根幹を支える機器である歯科用ユニット、タービン, スケーラーなどの開発はほぼ完成されてしまい、これ以上の大きな技術革新が起きにくくなっているのだと感じます。そのため、さらなる利益を上げたい企業側が「デジタル化」を強力に推進し、高額な機器を歯科医院に買わせようとしている構図が見えます。しかし本来、歯科治療の本質はデジタル化しなくても、人間の手で十分にうまく治療できるはずなのです。

 

それ以来、私は日本のデンタルショーにもあまり行かなくなりました。そこにある落胆が、行く前から目に見えているからです。アメリカの歯科界は2010年ごろを境に急速に商業化し、それと同時に「歯科医師に特殊な技術を必要としない方向」へと舵を切っていったように思えてなりません。

 

これらのデジタル機器の導入には莫大な初期投資が必要な上、数年で型落ちになってしまうため定期的な買い替えを迫られます。さらに、ソフトウェアのバージョンアップ費用なども容赦なくかかります。そうなると、歯科医師側も「とにかく機器を使って元を取り、稼がなければならない」という心理に陥るため、過剰診療を生みやすい土壌を作っているのではないでしょうか。

 

昨今、日本でも審美治療をめぐるトラブルの相談件数が増加し、厚生労働省が医療分野の広告規制強化に乗り出してきたのも、根底にある原因はこれら歯科界の行き過ぎた商業化と無関係ではないと考えています。


日本の歯科教育の現状と、私がたどり着いた治療の真実

ところで、ひるがえって日本はどうでしょうか。私が大学に入った当時は、合格難易度の高い国公立大学は授業料が安く、私立大学は(偏差値に関わらず)授業料が非常に高額であるのが一般的でした。

 

しかし、教育内容そのものに目を向けると、私立と国公立で臨床教育に大きな差があるとは言い難いのが実情でした。私より若い先生方や、現在歯科大学に通っている息子の話を聞いてみても、その状況は今もあまり変わっていないように感じます。

 

国公立大学には「授業料が安い分、受験勉強を頑張ってきた優秀な学生が集まる」という側面があり、私立大学は「授業料が高い分、国家試験対策などの面倒見が良い」といった話は耳にします。しかし、どちらの大学であっても、大学の授業内で「即戦力となるような、高度な実践スキルとしての治療技術」までを徹底的に教えてくれるという話は、ほとんど聞いたことがありません。

 

アメリカの歯科大学とこれほど根底にある教育システムの差があるお話を伺ったとき、私は大きな衝撃を受けました。

 

そんな経験があるからこそ、日本で患者さんが歯科治療を受ける際、「国公立出身か、私立出身か」という点は、良い歯科医師を選ぶ決定的な基準にはならないと私は思っています。

 

確かに、出身大学による「カラー(特徴)」は多少ありますが、実際の治療クオリティは、その先生が「卒業してから誰に学び、どんな勉強を積み重ねてきたか」によって全く異なります。もちろん、先生自身の性格や医療に対する姿勢も大きく影響します。

 

皆さんもご存じのように、歯科治療ほど、先生によって言っていることや治療方針が異なる世界は珍しいかもしれません。

 

そのため、私が実践している治療法は、おそらく多くの人にとって、最初は少し極端(あるいは独特)に思えることが多いはずです。なぜなら、私自身が卒業後にアメリカ流の包括歯科(スーパーGP)の思想を持つ素晴らしい先生に出会い、一般的な日本の歯科医師とは異なる視点を徹底的に仕込まれたからです。

 

歯科治療は非常に奥が深いものです。私も昔は「物理的に美しく、噛み合わせの計算通りに治療ができればすべて上手くいく」と考えていました。しかし現実は、教科書通りにはいかない予想外のことばかりでした。例えば、歯列矯正でどんなに綺麗に歯を並べても患者さんが満足しなかったり、目立たない裏側矯正(舌側矯正)をした結果、なぜか突然むし歯だらけになってしまう患者さんが現れたりしたのです。

 

「本当に問題の起こらない、患者さんのためになる歯列矯正とは、どうあるべきなのか?」

 

そんな疑問を抱え、模索していたとき、私自身が受けた整体治療の経験から、大きな気づきを得ました。「歯」だけを見るのではなく、頭蓋骨や脊椎、あるいは足の先まで続く「全身と歯の密接な関連性」に着目すること――その試行錯誤の末に行き着いたのが、いま私が確信を持って実践している治療法なのです。