歯科医を目指すまで
私は中学生のとき、かなり歯医者さんに通いました。実は結構虫歯があるといわれ、中には神経を抜いてしまった歯もありました。こんなに苦労するのなら実際自分が歯医者になってやろうとそのとき決心したのです。
歯医者さんについて具体的な理想を抱いていたわけではありませんでしたが、小さいころからプラモデルを作ったり模型を作ったりするのが好きだったので、「あなたは歯医者さんのような細かい仕事をするのが向いているのではない?」と親によく言われたものでした。
どうせ歯医者になるなら日本で一番の東京医科歯科大学(今の東京科学大学)に進学することを目標にして高校に進学しました。
受験失敗と浪人生活
高校三年生のとき、それなりに勉強はしていたのですが、やはり当時のやり方ではまだ甘かったのでしょう。偏差値がぜんぜん足りないことに気がつきました。
現役時代に、東京医科歯科大学を受験しましたが、結果はやはり惨敗でした。なんとして今度は受かってやるという意気込みで浪人を経験しました。今でもこの一年間は本当に苦しかった思い出です。
浪人生は高校生でもなく、大学生でもではないのです。学生でもない、社会人でもない、受験のプロとして、受験以外のことができても何にもならないといったストレスの中で生活していましたから、もし今度受験に失敗してもまた浪人する気はまったくありませんでした。それが背水の陣のように働いたのだと思います。一年間の浪人後、晴れて東京医科歯科大学に合格することができたのです。
期待外れの大学教養時代と予想外の大学院での落胆
しかし、こんなにも苦労して入った実際に大学に入ってみると最初の2年間の教養部時代は自分の思い描いていた理想とはかけ離れていました。
歯の勉強をするわけでもなく、教養をつけるための勉強といっても、あまり興味を引く内容ではありませんでした。早く学部に上がれないか心待ちにしていました。3年生からの学部に入ると忙しい毎日で、充実していたことを覚えています。
大学を卒業し、当時の臨床科の大学院に進学した私は、歯科に関する研究を始めました。わたしはほかの大学院生の先輩の研究を見て、やはり明確な答えが出やすい基礎医学的な研究をしようと思い、基礎の研究を選びました。
私はは臨床科の大学院に行ったのだから、研究は基礎系でも素晴らしい臨床の技術を伝授してもらえると期待していました。
しかし、現実的は甘くなく、大学院生のための臨床教育のカリキュラムは無いに等しかったのです。(私が行った講座が悪かったのかもしれません。)
私は基礎研究で昼間はあまり臨床の見学ができなかったので、治療技術を教えてもらおうと、せめて夜遅くまで技工室(歯に入れるものを作る作業をする部屋)残って、自分の患者さんの技工をしながら、そこにいる少し上の先輩にいろいろ教えてもらうぐらいのことしかできず、フラストレーションはどんどんたまってゆきました。
私は大学院生だったので、夜遅くまで研究していることも多く、大学で実際患者さまを見たり、臨床を習得したり技工操作をしたりする時間も十分には取れませんでした。
大学院まで出ましたが、治療技術を習得するのに非常に苦労しました。治療技術を手に入れたいという点ではかなり焦りを感じ、教えてくれる先生がいればどこでも治療を見に行くという貪欲さがありました。
しかし講座にカリキュラムもないので実際の臨床の勉強はアルバイト先の歯科医院で実際に治療をやってみることで経験するほかなく、「このやり方が正しいのか?」それすらわかりませんでした。
アルバイト先はほとんどが保険診療で一日に30人ぐらいの患者様をこなさなければならない毎日で、当日の治療内容はおろか、患者さまの顔と治療さえ一致しないほど、マシンのように診療をしていました。
そんな日々の中私は、「これが私の追い求めていた歯科治療なのか、そして歯科で生計を立てるにはこれしかないのか?」と自問していました。
当時勉強のために、沢山の講習会に参加していましたが、自分のためになった講習会は数えるほどしかありませんでした。途中からわかったのですが講習会を本当に技術を持った歯科医が行うということは殆ど無理です。
歯科医の先生が自ら講習会を開催し、参加者を募ることは難しく、大抵は業者が自社の商品を売り込むために、主催し、それに呼ばれる形で講習をする先生がほとんどなので、結局自分の本当にやりたい講習ができないのです。
それでも治療着技術の向上のヒントになる内容は無かったわけではありません。しかし、これといって決め手となる講習は在学中には出逢うことはありませんでした。
転機
このような状態の私に転機が訪れたのは、大学院3年生のときです。 当時たまたまアメリカの歯科大を卒業し、アメリカの大学院まで出た先生が、なぜか私にその治療技術を教えてくれるといってくれたのです。
研究のことが忙しくて、なかなか臨床をすることができなかった私にとっては非常にありがたいことでした。
ただその当時生活費を稼ぐために、週二回ほど、一般の歯科医院に行ってアルバイトをしていたのですが、そのうちの一回をやめ、もちろん経済的には苦しくなりますが、先生の治療を見学するようになりました。
そのとき初めてアメリカの治療の仕方を見たのですが、その鮮烈さはまるで雷に打たれたようで、は今でも忘れることができません。
「日本でやられているいわゆる保険治療は、治療ではない」とそのとき私ははっきり思ったことを覚えています。
歯の治療における感染予防、根管治療や虫歯の治療に使うラバーダム防湿、拡大鏡を用いた治療など、当時アメリカで当たり前と思われていることを実施している先生は、日本ではほとんどいませんでした。このとき私は自分の進むべき道はこの方向でしかないと確信したのです。
それ以来30年以上たちましたが、私の今の臨床の出発点はこの出逢いから始まったのです。
大学退職、医院勤務そして開業
大学での診療とあまりにも違いすぎる治療を見てしまい、ショックを受けた私は大学でもその治療法を教えるべきだと思い、大学内で学生や研修医に画期的な治療法を教えたりしていました。
しかし、どうしても大学の雰囲気に合わないものを感じ、ついに大学院卒業後1年で母校を去ることになりました。 就職先は、歯科用ユニットを販売している業者さんから紹介していただいた医療法人でした。
そこで分院長を任せらられ、オーナー様が患者さまを紹介してくださったり、プライベートでも本当にお世話になったりました。
ここで4年間勤め上げた後、その医院をそのまま買わせていただき開業することができました。
苦労の開業とその後の2年間
分院長として診療をしているときはそれほど経営が大変だとは思ったことはありませんでしたが、実際自分で経営してみると本当に大変でした。
開業して1週間で勤めていた助手の子が急に休み、その後連絡もなく1週間勤務に来ることなく、そのまま退職となりました。
当時私と2人で診療に当たっていましたから、一人で全ての仕事をこなさねばならなくなり、本当に大変でした。毎朝早く来て診療の準備をし、夜遅くまで残って片付けをしなければならず。 人がいないのは本当に大変だと思いました。
当時は患者さまも非常に少なく、一日に5人から7人ぐらいの患者さまを診ていました。経営もあまり楽ではなく、自分の給料を削って、機械を買ったり、装置を入れたりしていましたが、そんな状況でも治療に材料、道具に関しては決してケチったりはしませんでした。
上向き始めた経営とISO9001取得
その後何とか新しく衛生士さんが勤めてくれて、経営状態も徐々に良くなってきました。
そこで開業後2年目に、今後のことを考えて経営を明確化して診療を行えるようにと医療法人を設立しました。
当時お願いした行政書士の先生に、「収入もそれほど多くないのに本当に医療法人にしても良いのですか」と何度も聞かれましたが、どうしても将来に備えて医療法人にしたかったので、してもらいました。
結論から言いますと、今は医療法人法が改正され、新しく医療法人を設立するのはかなり難しくなったようで、良い選択だったと思います。
医療法人を設立した後、急なスタッフの退職や移動などがあると、当院でやっているような感染予防や、高度な治療のレベルを維持することが難しいのではないかと考え、ISO9001を取得しようと考えました。
ISO9001によって、感染予防マニュアルや診療の準備のためのマニュアル、治療のためのクリニカルパス(治療手順書)などさまざまなマニュアルを完成させてゆきました。
自由診療のための根管治療、抜歯術そして矯正治療の技術習得
大学院時代に教わった、私の今の臨床の出発点の当時の技術習得で不十分であった、顕微鏡を用いた根管治療、矯正治療、抜歯術はいずれも、スーパーGP👉としての私の治療技術を完成させるために習得が必要でした。
根管治療は2日間のコースに参加した後、日々の臨床でその治療技術を完成させてきました。矯正治療では白須賀法インダイレクト法の習得と、ワイヤーベンディングテクニック、そして、独自に考案した顎位の大幅な変更を伴う顎位変更矯正治療テクニックを完成させました。
また抜歯術は侵襲製が低く、どのような埋伏歯も確実に短時間で抜歯を行うことが出来る技術を当時抜歯をお願いしていた抜歯の名人に伝授させていただきました。
エネルギー治療との出逢い
ISO9001で規格化し、治療ステップを確実に踏むようになると、他の医院ではどうにもならなかった患者さんが多く来院するようになりました。
そのような患者さんを治療するうちに、どんなにきちんと擦烈婦を踏んでも治癒が難しい患者さんががいることに氣付いてきました。
当時私は、体調も良くなかったので、氣を扱う整体やオステオパシーなど様々な先生の所に通っていました。そしてその様に治らない症状の原因に目には見えないエネルギーが関与しているのではないかと感じるようになったのです。
物理学の世界では量子エネルギーの特異な理論が発展してゆく中、残念ながら医療におけるエネルギー理論、療法に関 しては、医師の偏見も多く非常に遅れています。
実際に臨床で患者さんを診療していると、どう考えても腑に落ちない、西洋医学だけでは説明のつかないトラブルが起こることを経験するのです。
そんな時、自分が今までの施術では対応できないほど体調が悪くなったとき、4,000年の歴史を持つ東洋医学の医療氣功の先生と出逢い、医療氣功の技術を伝授していただくことができたのです。
その時から、物理的な治療である西洋医学と、エネルギー的な治療である氣功治療を併用することにより、歯科におけるさらなる難症例を治療することが可能になったのです。
今後の希望
今後の医院の進む方向ですが、私自身が診療を教えてもらうことに非常に苦労したということと、大学が一人前の歯科医師を作り出すことに非常に無関心であることなどから、歯科医師のための教育を少しでも啓蒙できる人になりたいと思っています。
また患者さまにとって本当に良い治療とは一体何なのかを探究してゆきたいと思っています。そもそも歯とは非常に体に関係のある臓器です。というか歯が逆に体の調子をコントロールしているようにさえ見えます。
健康な体は健康な歯からと言えるかもしれません。顎関節症で悩んでいる患者さまが多く訪れるにつれ、歯と体との関係を知らされ、また治ってゆく患者さまを見ていると、これほどうれしいことはありません。
このような体験を一人でも多くのドクターに知ってもらいたいし、また患者さまも歯に対してもっと注意を払ってもらえるようになるのが私の夢です。
